伊是名城跡/伊是名玉御殿
伊是名城跡は伊是名島の南東に海を背にして築城された(11〜14世紀のグスク時代)。第一尚氏を興した尚巴志王の祖父鮫川大主が、伊是名城主だったと伝えられている。また、城の下に築かれた石造製の墓、玉御殿は尚円王の子である尚真王が、首里の玉御殿と同時期に重修したとされ、尚円王の島の家族、親せきが葬られた王国時代聖墓のひとつである。
伊是名城跡は伊是名島の南東に海を背にして築城された(11〜14世紀のグスク時代)。第一尚氏を興した尚巴志王の祖父鮫川大主が、伊是名城主だったと伝えられている。また、城の下に築かれた石造製の墓、玉御殿は尚円王の子である尚真王が、首里の玉御殿と同時期に重修したとされ、尚円王の島の家族、親せきが葬られた王国時代聖墓のひとつである。
2015年生誕600年を迎えた琉球王統第二尚氏始祖となる金丸(後の尚円王)が生まれた島。24歳で妻と弟と一緒に島を後にし、沖縄本島で頭角を表し活躍。56歳で琉球王朝の第一尚氏に代わり、第二尚氏の始祖となった尚円王の歴史ロマンを感じる旅。その後、首里城において築かれた、409年間という長期政権は歴史上江戸幕府をしのぐたぐいまれな政権でもある。琉球王朝の黄金期の始まりを築いた英雄の若き青年時代の足跡を辿る旅。
島のそこかしこに残る、尚円王ゆかりの史跡を巡れば、若き金丸の人柄まで見えてくるよう。島の方に聞くと出てくる言い伝え「金丸は美男子だった」という説が旅をおもしろくしてくれる。金丸が生まれ故郷の島を出るに至るまでの物語に思いをはせて、タイムスリップの旅へ。
金丸が山ごもりしたとされる場所。深い森の奥には拝み所がある。一説では島内の恋人と一緒だったという説も。子宝に恵まれる場所として密かに人気。伊是名村内の勢理客という地域に恋人はいたとされ、金丸の屋敷がある諸見地区との中間にある山の中。
他の田で水が涸れても、一番高い土地にありながら、金丸の田だけ水を湛えていたため「水が逆さにのぼる」として「逆田」と呼ばれる。「島一番の好男子、金丸が一生懸命に働いている姿を思い浮かべるだけでも、熱く燃え上がってしまう」という美童の歌を刻んだ碑があり、当時の金丸の人気ぶりがうかがえる。
沖縄県北部、フェリーで渡る離島伊是名村。サトウキビや稲作が盛ん。沖縄らしい原風景が残り、古民家とフクギ並木の集落では、現在も人情味あふれる島の人々が住んでいる。海ガメの産卵も見られる砂浜や海の透明感、そして尚円王の生誕の地として有名。沖縄で珍しくハブのいない島でもある。
サンゴの石垣とフクギ並木の風景が広範囲で見られる集落。
赤瓦の古民家も並び、沖縄でも随一の美しい村並。
尚円王の叔父にあたる家系の家「銘苅家住宅」(国指定重要文化財)
集落そばにある体験・交流館では、地元の沖縄料理体験などができる設備が整う。
集落内にある泡盛蔵元「伊是名酒造所」。水豊かな米どころ、伊是名の旨い酒をぜひ。
圧倒されるような砂浜と岩礁が入り組んだ浜。切り立った岩がそびえ立つ海ギタラ・陸ギタラは必見。
「いつも揚げたてをお客様に出すんだよ」宿のおばあちゃん手作りのサーターアンダギーはなんとモズク入り!
尚円王の生まれ故郷であるため、毎年沖縄のどこよりも先に行う習わしの伊是名玉御殿での清明祭(村主催)の様子。(※清明祭とは…各家庭で4月から行われるお墓参りの風習)
数百年の時を超え、
琉球の英雄たちの息吹を感じる。
歴史探訪の旅へ
TRIP to 沖縄・琉球HISTORY
伊是名村の観光案内はこちら
沖縄県島尻郡伊是名村字仲田177-7
0980-45-2435
電話時間/9:00〜12:00、13:00〜17:00
※年末年始休み(ただし土日祝日は電話対応のみ)
伊是名村役場沖縄県島尻郡伊是名村字仲田1203