強固な村落共同体、ユイマールの思想

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地域コミュニティの状況

北部地域は、入り組んだ海岸線に沿ったわずかな平地に集落が立地している場合が多く、部落間の距離が離れ、互いの交流は少ない反面、部落内では強固な村落共同体が作られていました。人々はこれを「シマ」と呼び、強い連帯感で結ばれた一つの共同体的な社会を形成していました。

「ユイマール※」と呼ばれる共同で労働を提供するシステムは、農作業や冠婚葬祭、家、墓の建造などにいたるまで活かされ、ムラが一つの島的な世界を指していました。


※ユイマール ユイマールとは、賃金の支払いをともなわない労働交換の慣行。たんにユイ(結)ともいう。生産力の水準が低く、労働力が賃金で評価されない段階では、他所からの労働力の受け入れに対して労働力をもって返す方法がとられた。

共同売店‐やんばるが発祥!コミュニティビジネスのモデル!



共同売店 沖縄の農山村や離島には、「共同店」または「共同売店」と呼ばれる商店が息づいています。共同店は、基本的には字(あざ)を単位とする住民の共同出資により運営される販売購買組織です。
共同店が沖縄で最初に設立されたのは1906年(明治39年)に沖縄本島北部の国頭村奥村(現在の国頭村字奥)といわれています。


その当時は、道路の整備が進んでおらず、経済の中心地那覇との物資の交流は山原船(やんばるせん)が利用されていました。海運と商品の取扱いは、外来の商人に握られていましたが、これに対抗して字単位の団結による生産物の共同販売、日用品の共同購入を中心とした共同店を誕生させました。共同店では、購買活動に加え、戦前・戦後を通じて農・林産物の生産・加工・販売等、共同船・バスの保有、奨学金制度等も行われました。


その後、共同店は国頭郡全域、中頭郡や島尻郡の農業地帯、さらに離島の村落にまで広がっていきました。 現在では、スーパーやコンビニエンスストア進出し、共同店は少なくなりましたが、いくつかの地域で共同店が残り、コミュニティの中心として息づいています。

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